本当に「英語の授業は英語で」したほうがいいのか?

日本では「英語の授業は(基本的に)英語でおこなう」ことが求められています。これには賛否両論あって、良い点としては

・よりたくさんの英語に触れられる

・母語を介さずに英語を英語のまま理解できる

・「英語だけ」の環境に慣れられる

などがあげられると思います。反対にデメリットとしては

・文法や抽象的な言葉の説明が難しい

・母語を使うことへの「罪悪感」がうまれる

・母語の使用が制限されることで先生も生徒も普段通りの振舞いができなくなってしまう

などがあると思います。

私は特にこの「オールイングリッシュにこだわることで先生や生徒の振る舞いが制限されてしまう」という部分が気になっています。

例えば、先生にとっては、英語で授業をすること自体が目的化してしまって、肝心の内容にまで意識が行き届かないということがあり得ます。現に私もそういうことがあったなと思って今とても反省しています。「自分がどんな英語を話すか」ということにばかり気を取られて、生徒が理解しているかとか、アクティビティーの内容は効果的なのか否かとか、そういうことが後回しになっていました。

また、生徒にとっても「英語で言われてもわからない→質問したいけど質問の仕方がわからない→もっとわからない→英語の授業に対する不安感・恐怖心」という悪循環が起きる可能性があります。表現したい内容を持っていても「オールイングリッシュ」の環境下ではそれをアウトプットする機会を逃してしまう、ということもあるかもしれません。それはとても窮屈なはずです。

このように、「英語の授業は英語で。」が先生や生徒のメンタル面におよぼす影響は小さくなく、そのことが、お互いにとっての「安心して学べる環境」を遠ざけてしまうかもしれません。

そもそも、日本の学校では、「オールイングリッシュ」の授業と言っても英語をしゃべっているのはほとんど「先生」であるということも多いのではないかと思います。生徒は黙々と作業しているか、グループワークの最中は日本語でしゃべっているか、もしくは英語をしゃべっているように見えても、意味のある発話ではなくて何も考えずにドリル的に英語を口に出しているだけだったり。

もちろん、生徒が効果的に英語を使えるように授業していらっしゃる先生もたくさんいらっしゃるとは思いますが、、、!!!

以上のようなことを踏まえると、英語の授業は必ずしも英語だけでおこなう必要は無いのではないかと思えてきます(少なくとも日本においては)。

・・・と、いうような内容を、今、大学の期末レポートでつらつらと書いています。

教えたい言語だけを用いるのではなく、母語(または先生と生徒の共通言語)を使うことが、安心で快適な授業空間の形成にどう関わっているのか?

具体例として、自分が今受けている初級オランダ語の授業を録音し、先生が「オランダ語」ではなく「英語(先生と世界各国出身の受講生の共通語)」で話す部分がどう機能しているかを分析しています。

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